37) 企業リスクマネジメント 第27話〜潤い〜
日々淡々仕事をこなし連日遅い仕事漬けの毎日、この週末子供に誘われ映画を観に行った。それは、今週末から公開された「ピアノの森」というアニメーションだ。流行の娯楽情報に疎い私は、内容も知らず、どうせ子供向けアニメーションだろうと、たかをくくり家族サービスのつもりで劇場に行った訳だが、それは大間違いだった。久しぶりに感動を覚え、自分の幼少の頃の気持ちと、大人になって忘れてしまっていた何かが交差して、不覚にも涙を流してしまった。ストーリーは、森にある拾ってきたピアノと楽しく戯れ、自由奔放にピアノを愛し愛された天才的才能を持つ男の子と、有名なピアニストの子として生まれ、英才教育を受けながらピアニストになるための努力を重ねているが、ピアノを愛しているわけではない秀才の男の子が、ピアノコンクールを通じライバルとして友情を育む物語だ。
かく言う私も、3歳の頃にピアノを習い始めた。毎週々々、母に手を引かれ先生の待つレッスンに行かなければならなかった。練習せずにレッスンに臨んだ時は、グランドピアノの下に隠れたり、母が居眠りせざるを得ないほど退屈で、かつ怒られる覚悟の辛いものであった。中学に入り運動部に入部したかったのに、突き指するから駄目だと反対され止むを得ず断念した。楽しいと思ったことはあまりなく、好きな曲を弾く時だけは楽しかったような気がするが、毎日が指の運動のための機械的プラクティスから始まり、何のために習っているのか全くわからない日々であった。ピアノのために犠牲にするものも多かった私は、ついに高校で念願の運動部に入りピアノを止めてしまった。その後、大学に入学し再開するまでは、ピアノを弾きたくも見たくもなかった記憶がある。家族だんらん中、テレビのチャンネルを回した時にピアニストがピアノを弾いているシーンがあると、気分が悪くなりチャンネルを変えたり消したりした記憶は鮮明に覚えている。大学では、ピアノではなく電子オルガンに転向しアルバイトを通して少々稼いだものの、社会人になってトンと弾かなくなってしまった。それなのに、我が子にピアノを弾かせようとしている自分がいることに気付く。ピアニストにするつもりは毛頭ないし、期待もしていない。
ただ私は歳を重ねるうちに、もう一度弾けたらいいなと思えるようになり、あのスパルタ時代で嫌になったピアノにまた触れたい自分がいるのも事実である。その明確な理由を見出すのは困難であるが、はっきりしているのは、過去にピアノを習った経験があるということである。習い事が即、身を助けたり身につくわけではないのに、親の満足のためだけに結果を出そうとして焦ってしまっていたあの頃の私に、両親はなぜ私にピアノを習わせたのであろうか。父は昔、ひとつ得意なスポーツを持て、ひとつ得意な言語を持て、ひとつ得意な楽器を持てと言っていた。それらが収入の糧ではなく、人生の楽しみや喜びになることを教えるために習い事をさせてくれたのかなと振り返る。この歳になってようやく、子供の頃に習ってきた意味を理解できたように思い、心から親に感謝する次第である。
現実は、全くその頃の努力とは関係ない仕事についており、日常業務でこうした過去の経験が直接反映されることはないし、業務の範囲だけのコミュニケーションでも理論的には事足りる。しかし、仕事において個人の昔取ったきねづかに回帰し、原点を振り返り、そして癒されることもしばしばである。その内容は人それぞれが歩んできた歴史により、音楽であったり、スポーツや趣味、文化的稽古事であったりするだろう。これが、ビジネスの世界に深みと広がりを与える要素となっていることは否定しようのない事実である。親の意向とは無関係に、本人の子供の頃の辛さとは無関係に、今は結果として私の癒しになり、ビジネスにも潤いを与えてくれる。個人体験とは、そんなものではなかろうか。
仕事や雑多な事柄に追われていた私は、久しぶりに楽譜を開いた。家族はびっくり顔。指はまだあの頃を覚えていた。心が乾かないうちに取り戻そう、自分自身への潤いを。
(筆者=ナノテックシュピンドラー株式会社 社長・シュピンドラー千恵子)
<<前の記事へ | 次の記事へ >>